千葉県鎌ヶ谷市の主婦求人

地元で働きたい主婦(主夫)のためのパート・アルバイト情報、「おしごとnet」。このページでは、鎌ヶ谷市の求人一覧を掲載しています。東武野田線(東武アーバンクライン)、新京成線、北総線、成田スカイアクセス線とさまざまな路線が通る鎌ヶ谷市。家事、子育て経験を活かして地元で働ける仕事がたくさんありますよ。

検索結果1件 1-1件目を表示

株式会社ライフェクス 東京本社

掲載期間:2018-02-15~

お仕事No.:介護保険外新サービス-1

お給料 @パート社員(週1回 / 2H〜)

時給1,500円〜1,700円(稼動実績に応じて必ず昇給。但し、試用期間20Hは1,300円)

※収入例:週3日×1日2件(計5時間)の場合=月収90,000円〜102,000円

A契約社員A(実働1日8H / 週40H目安)

月給330,000円(試用期間3ヶ月は270,000円〜330,000円。実績考慮)

B契約社員B(実働1日6H / 週30H目安)

月給250,000円(試用期間3ヶ月は200,000円〜250,000円。実績考慮)

以上のなかからご希望の雇用形態が選べます。
地域・駅 ご自宅最寄駅から30分〜60分圏内の通勤し易いお仕事をご紹介します。お気軽にご希望をお聞かせください。
勤務時間/シフト ・ 毎週決まった曜日・時間の固定シフト(専任でお客様をご担当いただきます)。

・ 勤務する曜日、時間帯など、お気軽にご相談ください(登録制)。
PR

私たち、ライフェクスは家事代行サービスを行っている会社です。メインターゲットを富裕層のご家庭とし、主に掃除・料理・洗濯などの家事をお手伝いしています。スタッフが訪問するお宅や日時は固定制となっており、毎回同じスタッフが来ることで安心感があるとお客さまに好評です。

今回は今まで培ったそのノウハウを基に新サービスにチャレンジします。『もっとご利用者様やそのご家族に喜んでいただいてもらいたい!』というサービス精神旺盛な皆様からのご応募お待ちしております!

【具体例】

・ 各ご家庭を訪問して、特に介護保険でまかないきれないご高齢者の身の回りのお世話(食事介助、体位変換(寝返り等)、服薬介助 (お薬の飲み忘れがないかの確認や促し)、車椅子介助、歩行介助、排泄介助、衣服着脱介助 など)やそのご家族の家事をサポート。
・ 共働きのご夫婦、高齢者世帯への家事代行、特に家事全般水廻りの掃除や洗濯など負担になっている部分のお掃除。
・ クリーニングの出し入れやお買い物などの代行。
・ お散歩やお墓参りなど、外出や通院時の付き添い。
・ ご高齢者とのお話相手。
・ ペットのお散歩の代行。
・ ご利用者様が、デイサービス等に出かけていらっしゃるご不在時にお部屋のお掃除やベッドメイク等をするご不在サービス。
・ 等々。

※他の資格を必要とする内容(医療行為や理容行為など)、専門的な知識を必要とする内容(ハウスクリーニングや、車の手入れや洗車)、危険な作業(重量物の移動や運搬、高所での作業)は、お断りしているので安心です。

検索結果1件 1-1件目を表示

あなたにおすすめの記事

鎌ヶ谷市あれこれ

千葉県北西部にある鎌ヶ谷市北海道日本ハムファイターズのホームグラウンドがあることでご存知の方もいるかもしれません。各村が合併され鎌ヶ谷市となったのは約40年前。以降、東京近郊のホームタウンとして着実に発展しています。交通面では東武野田線(東武アーバンクライン)、新京成線、北総線、成田スカイアクセス線が走り、新鎌ヶ谷駅から成田空港へ約30分、羽田空港へ約1時間でアクセスできる便利のよさを備えています。鎌ヶ谷市中央地区にある新鎌ヶ谷駅は1991年に都市計画決定され、以降各鉄道の乗り入れ、大型ショッピングセンターオープンなど街開きが行われました。今ではさらに複合型商業施設が開業し、市民の交通と生活の拠点となっています。駅近くに総合病院や市役所などの行政施設も並び、困ったことがあれば新鎌ヶ谷エリアに行けば解決することも多いはず。今では穏やかに発展を遂げる鎌ヶ谷市ですが、明治時代には開墾者たちの戦いがあったようです。1869年、政府からの指示により開墾会社が設立され、会社の呼びかけにより鎌ヶ谷地域にも入植者が募集されました。未開拓だった鎌ヶ谷の地は厳しい自然環境にさらされ、開墾が遅々としてすすまない時期が20数年続きました。入植者たちのなかでは元の住居に戻っていく人たちも少なくなかったといいます。このように開拓が困難な中でも地道に生活を営み続けた人々により、鎌ヶ谷は少しずつ拓かれていったのです。しかし、この努力の結果切り開かれた土地の多くが、元の開墾会社の所有物となり、入植者たちは小作人とされてしまう事態となりました。ついに入植者たちは裁判を起こし、我が土地を守るため開墾会社と闘ったのです。1876年には内務卿大久保利通に直訴を行い、訴えるという史実も残っており、村民の熱意が伝わってきます。裁判は敗訴となりましたが、村民の思いを汲み取り、当時の千葉県が土地を開墾会社から買い上げ、村民に安価で払い下げるという処置がされたとのことです。今では想像も及ばないドラマが繰り広げられていたのですね。